Statement

August 1, 2012

私がまだ幼かった頃、姉と兄の後を追って、木漏れ日がきらきらした坂道を、補助輪付きの自転車で下った。

道を歩いていたおばさんが、「上手だね。」と言った。

 

 

 

 

 

 

- - - - -

 

 

私が描いているものは、ある意味『風景』に近いのかもしれない。

しかし、それは単純な景色、景観、眺望といったものではない。そこには見ているものだけではなく、一瞬の間にたくさんの出来事が同時多発的に起こっていて、感覚も一つではない。たとえば、いくら静かな場所でも絶え間なく音が飛びかっているし、空気の暖かさや冷たさも常に揺れ動いている。もしかしたら何か食べているかもしれない。そこには匂いもあるかもしれない。もしかしたらだれかと一緒に居るかもしれない。そして、風が吹いているかもしれない。

一つの出来事に感じても、それは複数のものから形成されている。さらにそれは、何かを感じた時点だけでの感覚ではなく、今まで生きてきた中での総体したものの見方、感じ方である。その時に見ているものだけで判断したり、何かを感じ取ったりしているわけではない。

 

 

 

 

 

格好良く言うと『現象』と言えるかもしれない。しかし私はあえて『その時の事』という言葉を用いたい。

私の中にいきなり飛び込んできて、そして通り過ぎていくもの。私はその時の事を覚えている。

しかし、それは私が見た物体そのものの形や色彩がそのまま当てはまるわけではない。かと言って、自分の手から生まれる形や色彩が自分の中にある感覚と重なるわけでもない。

私は形と色彩を明確に描くために、目で見る事のできるものの中から形と色彩を探し、それを紡ぎ合わせて私の中で感覚となったその時の事を描いている。

そうする事により、私が感じ取った感覚から、また次の新しい感覚を創る事が出来るのではないかと思う。

 

Please reload